スリランカ編第1章及び第2章では車をチャーターしてバンダラナイケ国際空港からスリランカ北部の遺跡地区や自然豊かな中央部を旅して来ました。第3章では南部に位置するウナワトゥナを拠点としてその周辺を観光し、帰国前にスリランカの最大都市コロンボを訪れます。
車チャーターの最終目的地はウナワトゥナ。世界の美しいビーチ100選に選ばれたこともあるほどのかわいいビーチがあります。ここに4泊して世界遺産のゴールや最南端の町ミリッサでホエールウォッチングを楽しみます。その後、タクシーでコロンボまで移動、翌日夕方のフライトで帰国の途に就きます。
地球の歩き方より :
ウナワトゥナが他のリゾート地と違うのは、ビーチがメインロードから離れているということだ。まるでプライベートビーチのような感覚で過ごせることが最大の魅力だ。以前、このビーチはヌーディストたちの楽園として人気を集めていた。全裸になることがタブーとなったいまでは、素っ裸で砂浜を闊歩する姿を見かけることはない。それでも、当時の自由気ままな雰囲気は色濃く残されている。ちなみに、ウナワトゥナのビーチの砂の色は黄金ではなく、白に近い。
宝石の産地ラトゥナプラからウナワトゥナまで約150km、車で3時間程です。
コロンボからゴールに向かう列車、ウナワトゥナが近くなって来ました。メインロードから路地のようなウナワトゥナのメインストリートに入り、夕方前にホテルに到着。 ここでドライバーのランカさんとお別れです。1週間ありがとうございました。
ホテルはハイディング・ウナワトゥナ。ミッキーマウスのようにカットされたキングココナッツジュースのおもてなし。
本館は改装中で、私達が泊まるのは離れの建物です。ハイディングという名前の通り、隠れが的な雰囲気が漂っています。
部屋は広々、シャワールームには内庭があって解放感たっぷりです。ビーチのホテルといった感じ!
私達の部屋の前に、アヒルが卵を3個産み付けていました。ネット予約した時には孔雀が写っていたのですが、アヒルに変身? 宿泊客が連れて来て、そのまま居着いたそうです。
夕食のためメインストリートをぶらぶらしていると、入り口がカウンターバーのようなレストランがありました。バーを通り抜けるとビーチです。
砂浜の上にテーブルと椅子が並んでいます。ハッピーアワーでビールが半額。浜辺で心地よい風を受けながらのビールは最高。食事中、椅子が砂の中に埋めり込んでいくので、時々引き上げたりもします。
朝食は向いのホテル・ハッピーバナナで頂きます。私達のホテルのオーナーと同じファミリーで、こちらはビーチに面しています。白い砂浜に青い海と空、とってもさわやか!
チカちゃんの後ろでおどけたポーズのお兄ちゃん。ごっつい顔に似合わずとてもフレンドリー!
朝食後、世界遺産のゴールを訪れます。
小さな半島にポツンと取り残されたようにゴールの旧市街があります。1988年に城塞都市として世界文化遺産に登録されました。
ウナワトゥナからはコロンボ方面(北)へ7km程のところにあります。
地球の歩き方より :
以外にも小さなゴールの鉄道駅を出て、まず最初に目に飛び込んでくるのは、赤茶色の石造りの時計塔と高い塀。旧市街を取り巻く砦だ。ゴールはスリランカ南部最大の町。首都コロンボより、南へ約120kmに位置する。港町としての歴史は古く、14世紀頃にはアラビア商人たちの東方貿易地として繁栄していた。その後、1589年にはポルトガル人たちが最初の砦をここに築く。これをきっかけとしてゴールの外国人による支配がはじまり、1640年にはオランダが砦を拡張し、その中に町を築いた。これが現在のゴール旧市街の原型である。イギリス植民地時代にも、支配の拠点として重要な位置を占め、堅固な砦を持つ城塞都市として完成されてきた。ゴールの歴史はそのまま、スリランカで繰り返された被支配の歴史だといえるだろう。
ウナワトゥナからトゥクトゥクでゴール旧市街のメインゲートにやって来ました。 まず最初に目に飛び込んできたのは、”赤茶色の石造りの時計塔” と ”高い塀” です。
メインゲートから500mほどのところに旧市街への入口となるオールドゲートがあります。ゲートの上には大英帝国の紋章が刻まれています。
ゲートをくぐった内側の壁には世界初の株式会社であるオランダ東インド会社の紋章が刻まれています。表と裏の紋章で、オランダからイギリスに統治が移ったことが見て取れます。
オールドゲートから海側に進むと、白い建物が見えて来ました。オランダ統治時代のダッチ・ホスピタルで、元々は病院でしたが、現在はレストランやショップが入っています。2階のテラス席で潮風に当たりながらビールで小休止。
ダッチ・ホスピタルから海沿いの城壁に沿って進んで行きます。
ゴールのシンボルともいうべき白亜の灯台が見えて来ました。
その灯台の下の海岸がムーンストーンのようにキラキラと輝いています。その中にカップルがいて、足を清めているかのようです。さすが、仏教の聖地ですね!
イギリス統治時代に建てられた灯台。その後、焼失しましたが、1939年に再建されました。
灯台から、半島先端の海岸沿いの土手を、海に突き出たフラッグロックに向けて歩いて行きます。
フラッグロックから見るインド洋。右手には半島を囲むように城壁が伸びています。
炎天下を避けて木陰で一休みした後、旧市街を散策します。
風変わりなカフェでティータイム。ミシン台がテーブル代わり。ジュースも再利用した瓶に入っています。
再び街を散策。こちらの通りにはスリランカ産の宝石を扱っているお店が並んでいます。
植民地時代に集められた骨董品などを展示している博物館もあります。
ゴール旧市街を歩いていると、ヨーロッパの旧市街に迷い込んだような、そんな感じがして来ます。その筈で、
左はオランダ統治時代に建てられたダッチ教会、右はイギリス統治時代のオール・セインツ教会です。見学出来ますが、昼休みでした。
植民地時代のコロニアル調の街並みが、200年ほど経った今も、遠く離れたこの小さな島国の片隅にそのまま取り残されています。
土産物を探すために新市街に行きます。1kmほどですが歩くには暑すぎ、トゥクトゥクに限ります。
遅めの昼食はバスターミナルのレストランで。チカちゃんはホットドッグ、私はカレー。出てきたのは、大盛りのライスとその上の赤いスパイス、それとカレー汁のみ。このスパイスがめちゃくちゃ辛いのですが、汗だくになりながらいつのまにか完食していました。
スリランカ最南端の町ミリッサ。美しいビーチやサーフポイントとして欧米人に人気の町です。加えて、ミリッサ周辺の海域には11月から4月頃にかけてクジラが回遊して来ることから、ホエールウォッチングの拠点としても賑わっています。
トゥクトゥクで朝6時にホテルを出発。船の出向は7時、ミリッサまでは約30km、間に合うのでしょうか。
夜明けの国道をぶっ飛ばし、なんとかセーフ。
最後に乗船。1階はガラガラ、皆さん2階にいました。
仲間の船に続いて我々も出航!
快調に沖合を目指しています。波は穏やかな方ですが、船酔いが心配な方には酔い止めの薬も配られています。出航すると、やがて朝食タイム。
ミリッサ港の沖合10kmほどにやって来ました。
皆さん舳先(へさき)に陣取っています。見張り役の船員さんは屋根に上って海面をじっと見つめています。
他の船がクジラを見つけたようです。そちらに近寄って行きます。
コビレゴンドウクジラ、体長4~6mくらいの小型のクジラです。
ブオウ~と大きな声を発して潮を噴き上げています。迫力満点ですが、小型だけに噴き上げる潮はそれほど高くありません。
コビレゴンドウクジラが見えなくなって暫くすると、船員さんが指さす方向に潮しぶきが上がりました。先ほどのコビレゴンドウクジラより高く上がっています。
ニタリクジラです。全長12~15m、体重は14~30トンくらいあるそうです。
潜っては浮上して潮を噴き、これを何度か繰り返しています。
やがて一段と高く潮が噴き上がると、「最後のジャンプだ」と船員さんが発しました。
大きく浮上し、頭をより下げて、海の中へ消えてしまいました。深く潜って行ったようです。
港に帰る途中、海面に波しぶきが! イルカの大群です。
遠くでは、ジャンプしているイルカもいます。
船に近づいて来ました。体長2~3mほどのバンドウイルカです。
船の下を通り抜けたり、ジャンプをしたり、猛スピードで泳いでいます。
キングココナッツジュースを頂きながら港へ帰ります。
ウナワトゥナに帰る途中にアハンガマという町があります。海に立てた棒につかまって魚を釣るストルトフィッシングという漁法で知られている町です。私も44年前に実際に釣っているところを間近で見ました。が、ドライバーさんによると、今では観光客相手にそのような恰好をするだけで、しかも法外な値段を要求されるとのことでした。
昼頃にウナワトゥナに帰って来ました。このトゥクトゥクで約60kmの距離を走ったわけで、決して安全とは言えませんが、爽快なドライブでした。
ホテルに帰ると、アヒルの雛が卵からかえっていました。3匹いますが、1匹だけ色が違います。灰色で、まるで ”みにくいアヒルの子” ?、それとも孔雀の子でしょうか。
こじゃれたレストランで昼食。ピザとメキシカンのナチョス。ビールに合いそうですが、残念ながら置いていませんでした。
食後はアーユルヴェーダ・タイム。チカちゃんは2時間コース、私は1時間のオイルマッサージを受けることに。終わった後はビーチでのんびり。
今夜もビーチで夕食。お座敷のような席もあり、カップルで埋まっています。ヌーディストビーチの名残りでしょうか!
魚介類のバーベキューもやっています。おいしそう!
野菜のカレーにイカ焼き。
三日目の朝もハッピーバナナで朝食。お兄ちゃんが大きなオマールをゲストに見せて回っています。これまで見たこともないような超ビッグサイズです。
朝食後はビーチでのんびり過ごします。
ビーチパラソルとチェアは無料で時間無制限。あっという間に埋まってしまいました。
午前中のせいか、砂浜に人はまばら。犬も気持ちよさそう。
重そうなリックを背負ったバックパッカーや、大きな袋を抱えて土産物を売り歩く人達が砂浜を行ったり来たり。かつてはヌーディスト達が素っ裸で砂浜を闊歩していたそうですが!
きれいなビーチです。
海もきれいで、心地よい水温です。ビールをメインに軽めの昼食で、5時間くらい浜辺にいたのでしょうか。久々にのんびりしました。
ホテルから4kmほどのところにあるジャパニーズ・ピース・バゴダにトゥクトゥクでやって来ました。日本山妙法寺が世界平和を願って建立したそうです。
白くて美しい仏塔、床面もきれいに掃除されています。
対岸にはゴール旧市街の半島が見渡せます。
バゴダの隣に日本山妙法寺があります。 私達を日本人と見てか、管理人と思しき男性がやって来て、お堂の扉の鍵を開け、中を拝見させてくれました。
平和の鐘をついて、来た時と同じトゥクトゥクでウナワトゥナに帰ります。
ウナワトゥナ最後の晩餐はカレー。欧米からの観光客に大人気のカレー専門店です。2階がジャングルの山小屋のような雰囲気でよかったのですが、満席でした。
壺に入ったライスやカレーを好みで皿に取ります。お代わり自由、バックパッカー風の人はてんこ盛りで2度3度。ただ、西欧人好みにしているせいか、スパイスが物足りないかな!
朝食を取っていると、いつものお兄ちゃんがウミガメの子を見せに来ました。スリランカでは子ガメの放流も観光資源で、そこから迷い込んで来たようです。
食後、タクシーでコロンボへ移動します。
スリランカ最大の都市コロンボ。ウナワトゥナから120kmほどです。人口は75万人、周辺を含むコロンボエリアだと200万人余りになります。かつての首都ですが、1984年にコロンボから10kmほど東にあるスリ・ジャヤワルダナプラ・コッテという小さな町に移されました。
地球の歩き方より :
植民地時代の香りを強く残すコロニアルな街並み。街の中心におかれた時計塔や、当時の伝統を守り続けるホテル。コロンボを代表する、これらの無国籍的な風景は、この町の歴史そのものでもある。まだ世界が広い海を知らなった時代、コロンボは小さな漁村に過ぎなかった。やがて、ここへアラブ商人たちがやってきて、西の地の富と引き換えに、この島の香料や宝石を手に入れる交易場として使うようになる。コロンボは外へと開かれた港となり、以降のポルトガル、オランダ、イギリスと続く植民地支配の中では、本格的な港湾都市として発展してきた。スリランカにありながら、外国人によってつくられた町。それがコロンボなのだ。
ウナワトゥナからタクシーで高速道路を使ってコロンボのホテルへ向かいます。距離は約120km、タクシーで2時間余り。タクシーといっても普通の車で事前交渉のお値段は8500Rs(6000円)でした。
ホテルではポーターのイシャーラ君のお出迎え。彼も研修で2年間日本に滞在したことがあり、日本語が達者です。
海沿いにあるマリノビーチコロンボホテル。
屋上にはプールと海を一体化させたインフィニティプールがあります。スリランカの天才建築家バワが設計したヘリタンスカンダラマホテルのプールと同じ原理です。
コロンボには1泊のみ。先ずは昼食、ホテル前のトゥクトゥクでバワが設計したレストラン The Gallery Café にやって来ました。
入口にはだれもいません。中へ中へと入って行くと、蓮池やツタが垂れ下がった中庭などバワらしさが漂って来ます。
ビールとスパゲッティで軽めのランチ。
”PickMe”という配車サービスでキャラニヤの寺院に向かいます。携帯がメーター替わり、値段交渉をする必要もなく安くて便利です。
コロンボは大都会だけあって渋滞だらけ。目的地まで10kmほどでしたが、50分もかかってしまいました。着いたのは寺院の前にあるキャラニヤ河、かつてはここで沐浴をしてから参拝したそうです。
キャラニヤにあるラジャ・マハー・ヴィハーラ寺院。キャラニヤ寺院とも言われています。中に入ると大きな菩提樹があり、その下の白い仏像の前で信者の方が熱心にお参りをしています。
キャラニヤ寺院。
仏陀はスリランカを3度訪れています。3度目の紀元前520年にこの地を訪れ、キャラニヤ河で沐浴をして説法を説いたそうです。その聖地としてキャラニヤに寺院が建てられ、その後の内戦で破壊、修復が繰り返され、20世紀初めに現在の姿になっています。
本堂周囲は、建物を支える人や動物の彫刻、ヒンドゥー教のガネーシャ神、ワニを踏みつけているなまめかしい美女の像などで飾られています。
入口の天井には八芒星(はちぼうせい:八角形の星図形)が描かれ、その周りを天女が踊っています。
お堂内部は撮影禁止。壁や天井には一面にびっしりとフレスコ画が描かれていました。また、涅槃仏や黄金の仏像などもあり見どころ満載です。
キャラニヤ寺院からタクシーでコロンボ市内へ帰り、コロンボ市民の憩いの場となっている海沿いの広場ゴール・フェイス・グリーンにやって来ました。
多くの市民が夕涼みがてら集まっています。子供達も海辺で打ち返す波に洗われてビショビショ。
コロンボの中心フォート地区にあるダッチホスピタル。オランダ統治時代に建てられた病院をショッピングセンターに改装したもので、人気のお店が入っています。その中でも超人気の蟹専門店 Ministry of Crab で夕食。
お値段は蟹のサイズで決まっています。1キロサイズで14600Rs(約1万円)、スリランカの物価からすれば、破格のお値段でしょうね。
チカちゃんも大満足の美味しさでした。
ところで蟹といえばシンガポールのチリクラブが有名ですが、その蟹のほとんどがスリランカ産だそうです。
スリランカ14日目、最後の日です。
テラス席で海を眺めながらの朝食。
その海岸線沿いをゴール行きのディーゼル列車が煙を吐きながら走って行きます。乗降口にはドアもなく、人が溢れていました。
市街中心部のベイラ湖の畔に建つコロンボ最大の仏教寺院「ガンガラーマ寺院」にやって来ました。入り口で靴を籠に入れて、見学開始。
この寺院には仏像をはじめとして美術品や骨董など、アジア各地から集めてきた数多くのオブジェがそこら中に置いてあります。
本堂は極彩色で、中央に大きな座像の仏陀が安置されています。
ところで皆さん仏像に背を向けて写真を撮っています。背を向けるなど御法度の筈ですが、ここでは問題ないようです。
本堂を出ると仁王像のようなものや、象の牙に護られた白い仏像が置かれています。
壁の装飾も煌びやか。
実物大の象、剥製でしょうか? それとも作りもの?
隅っこに展示前の立派な仏像がポツンと置かれていました。後ろに回ると中は空洞、しかも、なんと、樹脂で出来ているではありませんか。レプリカ? 訳が分かりませんが、これだと背を向けても問題なさそうです。
中庭に大きな菩提樹、その幹は建物の中まで伸びています。アヌラーダブラの神木から移植されたもので、その根元には穏やかなお顔の仏様が置かれていました。
こちらには多くの仏像と仏塔が並んでいます。インドネシア・ジャワ島のボロブドゥール遺跡で見た仏像や仏塔を彷彿とさせます。
象牙に護られ、ケースに入った小さな仏塔、通り過ぎてしまうところでしたが、「仏陀の頭髪」と書かれています。
よく見ると仏塔の中に髪の毛があります。手の届くようなところに仏陀の髪の毛があるなんて信じられません。が、係員に尋ねると本物とのことでした。
エメラルド仏もあります。タイのエメラルド寺院(ワット・プラケオ)から寄贈されたものでしょうか。タイでは見れなかったので、こちらの分身を拝まさせて頂くことに。
アジアの文化がぎっしりと詰まっていて、欧米人にも人気のガンガラーマ寺院でした。
ガンガラーマ寺院の近くに、ベイラ湖に浮かぶように建てられたシーマ・マラカヤ寺院があります。天才建築家ジェフリー・バワの設計によるものです。
本堂の周囲は黄金の仏像で囲まれています。
本堂北側には僧侶になるための儀式を行うお堂、南側には仏陀の像があります。
菩提樹の下で瞑想する仏陀の座像や涅槃仏が安置されています。
本堂に入ると、湖面で冷やされた空気が四方の透かし格子から通り抜け、心穏やかにさせてくれます。
シーマ・マラカヤ寺院を後にして、トゥクトゥクでナンバー11というジェフリー・バワが暮らしていた家に立ち寄ります。時間外で見学出来ませんでしたが、バワにお別れをしてホテルへ歩いて帰ります。
途中、学生と記念撮影。最後は道端の屋台でキングココナッツジュース。
ホテルで着替えをして、バンダラナイケ国際空港へ。
空港ロビーは大混雑、チェックインに時間がかかりましたが、14日間の日程を終えて日本へ帰ります。
リタイヤ後の旅第9弾は、ルビー婚記念で40年ぶりのグァム島を予定していましたが、新コロナ第一波に見舞われたため、断念せざるを得ませんでした。いつになったら安心して海外に行けるようになるのでしょうか。
もう一度行きたい国、私はスリランカに行けて大満足ですが、チカちゃんにとってはスペインの未完のサクラダファミリア教会が心残り。その完成はガウディ没後100年となる2026年の予定でしたが、観光客の入場料で賄われている建設費がコロナの影響で激減したため目途がたっていません。私達が元気なうちに完成することを願うばかりです。