lannlannmc’s blog

光り輝く島

スリランカ2.スリランカってどんな国

スリランカの2017年度1人当たりGDPは4,084米ドルで日本の9分の1程と、まだ豊かさを実感出来るレベルには至っていません。聞いた話ですが、3,000米ドルを超えると実態経済のレベルが急速に伸びて来るそうです。テレビや洗濯機といった家電製品が一般家庭にも普及し始め、やがて自動車も中間層に、農家には機械化の波がやって来ます。最近で言えば中国のような感じでしょうか。

42年前のスリランカには、一部の高級ホテルを除いてテレビなどありませんでした。車と言えば50年物のおんぼろフォルクスワーゲンが走り回り、農村では水田を耕すための水牛があちこちにいました。現在はどうなっているのでしょう。テレビは一般家庭にも普及し、車はインド製に加え最近では日本製がシェアを伸ばしているようです。これからも経済的に発展していくことが見込まれており、今後が楽しみな国と言えるでしょう。

とはいえ、スリランカが抱える根の深い問題もあります。それは民族間の争いです。1983年から2009年までの実に26年間も、多数派のシンハラ人と少数派のタミル人との間で激しい闘争が繰り広げられました。この間、政治・経済が停滞したことは言うまでもありません。何故このような争いが起こったのでしょうか。それは歴史を振り返れば見えてきます。

紀元前5世紀にインド北部から渡って来たインド人がシンハラ王朝を築きましたが、紀元前3世紀になると南インドからタミル人がやって来ました。ここから両者の争いが始まり、2000年以上経っても互いの憎悪が止むことはありませんでした。2009年、明石元国連事務次長の尽力により26年間続いた内戦に終止符が打たれましたが、その火種が完全に消し去られた訳でもなく、これからもくすぶり続けるでしょう。ただただ、両者が憎しみを捨て去ることを祈るばかりです。

 

参考までに、外務省他の資料を基にスリランカの概要を記載しておきます。

 

国名   スリランカ民主社会主義共和国

場所   インド南東に位置する島(日本から約6600km、直行便で約9時間30分)

面積   65,607平方キロメートル(北海道の約0.8倍)

人口   約2,100万人

首都   スリ・ジャヤワルダナ・プラ・コッテ

民族   シンハラ人(75%)タミル人(15%)スリランカムーア人他(10%)

言語   シンハラ語タミル語、この二つの言語を繋ぐ連結語として英語

宗教   仏教(70%)ヒンドゥー教(13%)イスラム教(10%)キリスト教他(7%)

通貨   ルピー (0.62円/ルピー、2019/年2月時点)

名目GDP     876億米ドル(2017年、日本4.87兆米ドル、 日本の56分の1)

1人当たりGDP   4,084米ドル(2017年、日本38,440米ドル、 日本の9分の1)

主要産業     農業(紅茶、ゴム、ココナッツ、米)、繊維業

 

歴史

 BC5   インドのヴィジャヤ王によりシンハラ王朝を建国

 BC4   アヌラーダブラにシンハラ王国の首都を定める

 BC3   インドから仏教伝来(菩提樹の枝が移植される)

 AD5   シーギリヤロックの頂上に宮殿を築き遷都(18年後アヌラーダブラに戻す)

 AD11   首都をボロンナルワに移す

 AD13   マルコポーロがやってくる(東方見聞録)

 AD16   キャンディを首都とするキャンディ王朝が成立

 1505    ポルトガル領セイロンとなる

 1658    オランダ領セイロン

 1796    イギリス領セイロン

 1948    第二次世界大戦後セイロンとして独立

 1958    シンハラ人とタミル人の争いが激化

 1972    スリランカ共和国となり首都をコロンボに定める

 1978    スリランカ民主社会主義共和国に改名

 1983    スリランカ政府とタミル・イーラム解放のトラLTTE)による内線が勃発

 1984    首都をスリ・ジャヤワルダナプラ・コッテに遷都

 2009    LTTE側の戦闘放棄により内線終結 

 

世界遺産   (登録年度)

  文化遺産  1982年  シーギリヤロック

        1982年  アヌラーダブラ遺跡群

        1982年  ボロンナルワ遺跡群

        1988年  古都キャンディ

        1988年  城塞都市ゴール

        1991年  ダンプッラ石窟寺院

  自然遺産  1998年  シンハラジャ森林保護区

        2010年  スリランカの中央高地